先週の金曜日に起こった東北地方太平洋沖地震。
あれから、テレビやラジオで悲痛な模様が流されている。
そして、ただテレビで現状を見つめることしかできない毎日。
どんなに涙を流しながらテレビを見ていたとしても、私がわかることができるのは、
実際に被災にあわれたかたの、数百分の1にも満たないと思う。
大切な人を目の前で失った悲しみ。
汗水流して手に入れた我が家が流されていく悔しさ。
生きているのか、生きていないのかも分からないまま探し歩く日々。
余震、津波の危険は続いている。
福島原発も復旧のめどが立っていない。
福島原発の爆発事故が起こっている。
放射能の恐怖。
まだまだ、自体は終息へと向かわない。
もし、それが自分に起こったことであったらと、
置き換えてでしか感じるとることしかできない。
ただ、見つめることしかできない。
早く、復興に向かってほしいと、願うことしかできない。
ニュースで、津波から救出されたおじいさんがインタビューを受けているとき、笑顔でこう言った。
「チリも経験してますからねえ。大丈夫、また復建しましょう」
印象的だった。
私は、ただ茫然とニュースをみることしかできないのに。
被災を受けた人が、前を向いている。
その心の強さに、生きる強さに驚かされ、
逆に勇気づけられた。
私がもし、災害や事故に巻き込まれた時、
大切な人を守る強さを持っているのだろうか、
生き抜く強さをもっているのだろうか。
以前、私は強くなりたいと思っていた。
それは、自分が一人で立つ強さがほしいと思っていた。
辛い時、乗り越える強さがほしかった。
ただそれは、自分を守る防御策がほしかっただけのような気がする。
今思えば、エゴの塊だ。
しかし、私も少ずつ大人になり、
自分を守る強さよりも、大切な人を守る強さが欲しいと思うようになっていた。
そんな時にこの災害のニュース。
そして、おじいちゃんの言葉。
本当の強さとは、辛い経験や、悲しみを乗り越えたその先でしか、
得ることのできない事のように思えた。
もうひとつ印象的だったのは、
津波をみつめている被災された方の言葉
「何もなくなってしまいました。明日からどうしたらいいのか。
でも、ここにいる人たちはみんな同じなんでね。」
どんなにテレビをみて涙を流しても、
被災者の気持ちを全てはわかることができない。
何もかもを失った人たちでしか、分かち合えない部分。。
そんな姿を見た時、義援金を考えている自分は、ただの偽善者のように思えた。
恥ずかしい話、義援金をいくら振り込もうかと考えた時、
「3000円でいいかな」と、思ってしまった。
全財産を失った人たちに対して、その不謹慎な感覚。
自分が一番大切だと思うのは、人間の防衛本能。
まだまだ弱虫な私は、自分も守ることで精いっぱい。
そうして、全身で近くにいる大切な人を守ることが次への目標。
すこしでも、ちょっとでも私も前に進みたいと思う。
そのために、ほんの少しの善意を送ろうと思う。
そのことで、自分がほんのちょっとでも成長できるような気がするから。
この考えがすでに、エゴ。
それでも、進まないよりは進んだ方が良い。
そう信じて進もうと思う。
補足:気持ちの整理がつかないまま書いている日記のため、支離滅裂な文章になっていることを
お詫びします。でも、今の感覚を忘れないうちに、何か書いてみたかったのです。
東日本大震災による被害を受けられた皆様に、謹んでお見舞い申し上げると共に、 被災地の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。